集中曝涼(中野富士山古墳・旧茨城県太田中学校講堂編)

こんにちは〜

常陸太田市には数多く古墳が存在するのはご存知でしょうか?

家の近くに前方後円墳があったなんて驚きでした。

それにしてもこんなに沢山あるなんて!

昔は有力な人がこの辺りに数多くいる土地だったのでしょうか?

もしくは何代も続く有力な家があったのでしょうか?

今回は「中野富士山古墳」と「旧茨城県太田中学校講堂」のご紹介。

まずは「中野富士山古墳」。


墳丘長:約70m 後円部径・高  径:48m 東側高:5.8m  南側高:7m

前方部幅・長・高  幅:31~33m 長:22・24.5m 高:約3m

くびれ部幅:約22m  後前高差:約2m

この「中野富士山古墳」は5年程前に発見されたばかりの古墳です。

写真の手前の丘が前方部、奥の丘が後円部。

今は整備されているので古墳と言われれば分かりますが、、、。

発見した方、グッジョブ!すごいです。

意外とあなたの近所の山も古墳かも知れませんね!


前方部から後円部へ向かってお祈りしていたそう。

この「中野富士山古墳」は未だ採集遺物も少なく、正確な築造時期を絞り込めてないのですが

規模や立地など他と比較し推測した結果、古墳時代前期後葉頃らしいそうです。

僕には全くいつだか分かりませんが、ググって見ると古墳時代は3世紀中頃〜7世紀頃らしい。

とゆうことは、600年代には未だ古墳を造っていたんですね〜。

奈良の大仏が完成したのは752年。この時代の人の技術進化の度合いが凄まじい!

お次はグッと時間が進んで明治時代の建造物「旧茨城県太田中学校講堂」。


(写真上でマウスを左クリックしながら動かすと、天井も床も360度見れます。)

内部は玄関ホールと大ホールの境の重厚な意匠、天井の格縁及び板の張り方

照明具を下げる部分の漆喰細工の装飾も印象的。演壇には手のこんだ

古典式の漆喰飾りが設けてあるなど、意匠が優れています。

外部は桁行20.9m、梁間14.5mの本体に、正面3.6m四方の車寄せを設けています。

切妻造、妻入、桟瓦葺で建ちが高く、威風堂々たる外観の洋風講堂。

正面にエンタシス柱にコリント風の柱頭飾りを付けた玄関ポーチが付設。

パンフレットにこんな記載が。

『茨城の文化財 第15集』より・・・

「この講堂は外観、内部ともに見るべきものがあり、明治建築の質的高さを

十分に示すものである。旧制中学校の講堂として全国的にもほとんど類のない

重要な遺構と言うべきものである。」

この講堂内では、旧茨城県太田中学校の歴史や生活感を垣間見れる

パネルや写真や沢山の展示物がありました。

しかし、写真を撮った時点で時間切れ。あまり拝見する余裕が無かったのが残念です。

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今回の集中曝涼のブログを書くにあたり、誤報を防ぐため文化財の情報等の殆どが

拝見時に頂いたプリントや学生ボランティアによる説明を元に記載しました。

大切な文化財を今日まで残してくださった地域の皆様、未来へ残そうと活動されている皆様

一つ一つ丁寧に情報を紡いでくださる専門家や考古学者、歴史好きの皆様

集中曝涼関係者の皆様、本当にありがとうございます。

おかげさまで現代に有ることが奇跡のようなお宝を沢山拝見することができました。

大きな時間の流れやロマンを感じることができました。

一つ一つのお宝をより深く感じることができました。

また、僕の拙い長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ぜひ、来年の集中曝涼でお会いしましょう!

今日も良い1日になりますように!

移住定住促進係 塚田

2017-10-25 | Posted in 金砂郷, 常陸太田No Comments » 
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