集中曝涼(香仙寺編)

こんにちは〜

本当は1つのページで今回の集中曝涼について見聞きしてきたことを

お伝えしようと思っていたのですが、あまりにもお伝えしたい事ばかりだったので

シリーズ物になってしまいました( ´Д`)

あと3編続きますので、よろしければお付き合いください(^ ^)

今回の舞台、香仙寺はココです!


鎌倉の大仏をご覧になったことはありますか?

鎌倉の大仏のある高徳院には大きな大きなわらじがあります。

そのわらじは香仙寺の所在地域、松栄(まつざか)の子供会が奉納しているものです。

1951年に開催された旧郡戸村産業祭に出品した大わらじを

「戦後復興間もない日本中が幸せになるよう、大仏さまにわらじを履いて行脚してもらおう」

ということで奉納されたのがはじまりということです。

今でも松栄子供会によって3年に1回作り替えられているそうです。

その大わらじが、香仙寺の山門にも掛けられています。


上の男性が見ているのがその大わらじ。


かなりデカイです!片足だけで、幅90㎝ 高さ180㎝ 約45㎏。

そんな香仙寺にある文化財はこちら


直牒洞(じきてつどう)の石仏。阿弥陀如来坐像(中央)、観音菩薩立像(右),勢至菩薩立像(左)

香仙寺東側の山腹にある奥行11mの岩窟中央の奥室後壁に、阿弥陀三尊像が彫られています。

平安時代後期の作と推定されてます。

驚くことに浮き彫りです。そして非常に柔らかいお顔をされています。

周りの壁の照明は、当時蝋燭などの照明器具を置くように作られたとみられる穴だそうです。


岩窟を掘った跡が随所に残されています。

平安時代以前はこんなに大きな岩窟をどんな道具を使って、どれだけの時間を使って掘ったのでしょうか?


阿弥陀三尊像以外にも沢山の絵が彫られていました。


特に上の写真中央の絵はいつ彫られたものかを推測するのに重要なサインらしいです。


外から見たらこんな感じ。岩窟は3箇所あり、この中央部が一番奥行きがあります。

ちなみに、直牒洞(じきてつどう)の由来ですが、旧瓜連町にある常福寺の第2世了誉聖冏上人

(りょうよしょうげい)が1388年〜1396年の間、常福寺の類炎や佐竹の兵乱を逃れるため

この岩窟に篭り「決疑鈔直牒」10巻を著したと伝えられ、これが直牒洞(じきてつどう)の

由来になっていると考えられているそうです。

戦乱の世の中で了誉聖冏上人は何を感じ、何を考えていたのでしょうか?

「決疑鈔直牒」10巻の端々にその思いが綴られているのかも知れませんね。

どこで読めるんでしょうか?内容が気になります。

また、この直牒洞は今も調査が続いているそうです。歴史好きの方々も熱く各々の考察を論じていました。

まだまだわからないことが多いのが遺跡の魅力なのかも知れません。

これから何が発見されていくのか、非常に楽しみです(^ ^)

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

今日も良い1日になりますように!

移住定住促進係 塚田

2017-10-23 | Posted in 金砂郷No Comments » 
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