集中曝涼(西光寺編)

こんにちは〜

久しぶりのお日様は気持ちいいですね!!

長い雨を耐えた甲斐がありました。

さて、今回は集中曝涼(西光寺編)です。

西光寺(下利員)は現存する仁王門を残し、本堂や薬師堂などの主要な建物が

大正12年の火災により焼失。しかし、その際に下利員町(しもとしかず)の

方々の活躍により、薬師如来坐像と仁王像はなんとか運び出されました。


[木造薬師如坐来像] 像高143.7cm(台座を含むと290.7cm)

カヤ材の一木割矧造(わりはぎづくり)。平安時代後期の作とされている。

九重の蓮華座上に座し、背後には飛天のつく後背を持っています。

実はこの後背は上記の火災により一部焼失してしまったそうです。

一部ですんで本当に良かった!!

きっと昔から下利員町のみなさんに愛されているんでしょうね(^ ^)

また、こちらの薬師如来坐像は、あの世界遺産の平泉は中尊寺の展示会へ

主賓として招かれた非常に貴重な仏像。

一説によると、佐竹氏に嫁いだ藤原清衡氏の娘さんが、目を患っていたお孫さんを思い

こちらの薬師如来坐像を作るよう仏師に頼んだそうです。

とても愛に満ちた話ですよね(^ ^)

そしてこちらの薬師如来像の特筆すべきは定朝様式の仏像であること。

定朝は平安時代後期に活躍した仏師。それまでの中国から影響を受けた仏像から

日本独自の様式の仏像を確立。浅く平行に彫られた衣の文様や瞑想的な表情が特徴で

平安貴族に受け入れられました。多くの仏像を作ったとされてるが、現存するのは

京都府の宇治平等院本尊(10円玉)の阿弥陀如来像(国宝)だけとされています。

定朝の作風は以後の仏像に広く浸透し、定朝様式として広まったそうです。

この定朝様は都会(当時は京都)の流行りだったそうで、都会以外で定朝様の仏像が

安置されているのは非常に珍しいそうです。

こちらは木造仁王像。室町時代後期の作とされている。
阿形像(右) 像高236cm       , 230kg ケヤキ材
吽形像(左) 像高232.2cm  , 246kg カツラ材


無くなった手首が火災の怖さを物語っています。

大切に受け継がれてきた大切な宝も、長い歴史の中で一瞬にして無くしてしまうことがあります。

戦国時代や世界大戦など、沢山の社会情勢や災害の影響を受けながら現代まで残っている

最大の要因は人の思いではないのだろうか?と、過去の火災の話や現在の台風の最中に

交通整理をかってでる下利員町の地域の方々からひしひしと伝わってきました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今日も良い1日でありますように!

移住定住促進係 塚田

2017-10-23 | Posted in 金砂郷No Comments » 
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